クレオパトラの鼻
鼻といえば、美容整形であるとかを抜きにせよ、まず第一にクレオパトラを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。そしてその際には、同時にパスカルの『パンセ』におけるかの有名な件、「クレオパトラの鼻。それがもっと低かったなら、地球の表情はすっかりかわっていただろう」という一節が頭に浮かんだに違いありません。しかしこれが、クレオパトラの鼻がもっと低かったなら――すなわちその美貌が損なわれていたらば、クレオパトラ7世はカエサルやアントニウスと結ばれることなく、プトレマイオス朝や古代ローマの歴史も大きく変化していた、という意味であるのかといえば、おそらくそうではないと考えられています。
クレオパトラは中身美人?
近年、クレオパトラはそこまで美人ではなかった、といった内容の研究が発表されることがありますが、それはなぜかといえば、クレオパトラのイメージは完璧な美人として確立されているからです。しかし誰しもがそういったイメージを持っていたのかといえばそういうわけではなく、クレオパトラの時代から1世紀ほどのちに活躍したプルタルコスは、その美貌は決して比類なきものではなかったと評しており、クレオパトラが男性を魅了したのであれば、その魅力はむしろ内面に拠る部分が大きかったのではないかと考えられるわけです。パスカルがクレオパトラを美人としてイメージしていたことは間違いありませんが、しかしパスカルが強く主張したかった部分は、ほんの少しのことから、大きな流れも変わっていってしまうということであり、それは言ってしまえば、ホームランを打った後のイチローを指して、「イチローが右腕の肘を触れていたらホームランは生まれなかった(いつもイチローはバッターボックスに入ると、正面に伸ばした右腕上腕部を左手で触れます)」といった意味合いの言葉であったのではないでしょうか。そういった意味では、パスカルが引き合いに出す部位も鼻である必要はなかったわけですが、反対に言えば、そこで鼻というキーワードが出てくるということは、人間にとって鼻というパーツは、やはり良くも悪くも重要度の高いもので、美容整形の歴史が鼻から始まっていることも、どこか偶然では済ませられないものがあるように感じてしまいます。
